UWCアトランティック・カレッジは、1952年にカート・ハーンによって設立され、現在ではUWC ISAK ジャパンも含む、4大陸に18校を持つユナイテッド・ワールド・カレッジ(UWC)の最初の学校となりました。
そして数十年後、ウェールズの学生たちと日本の人々の間に予期せぬ絆が生まれ、共通の使命が誕生しました。それは、箱の中に収められた救命ボートで海上の命を救うというプロジェクトです。
2014年、UWCアトランティック・カレッジの卒業生であり、イギリスの王立海上救助機構(RNLI)のボランティアでもあるロビン・ジェンキンスは、ロンドン芸術大学と、津波後のコミュニティ再建に取り組む日本の団体「東北未来ラボ」の共同研究の一環として、日本の根浜(ねばま)を訪れました。
訪問中、ロビンは根浜を訪れ、津波後に凍えるような寒さと暗闇の中で愛する人を探し、海に取り残された人々の助けを求める叫び声を聞いた生存者たちの心痛む体験を聞きました。
経験豊富な航海士でありRNLIのボランティアでもあるロビンは、「あなたたちの救命ボートはどこですか?」と尋ねると、返ってきた答えは「救命ボートって何ですか?」というもので、胸が痛む思いがしました。
日本は豊かな海洋文化を持ちながら、ボランティアによる救命ボートサービスは存在しませんでした。帰国の飛行機の中で、ロビンは「箱の中の救命ボート」というアイデアを思いつきました。それは、貨物コンテナ内に完璧に機能する救命ボートステーションを設置するというものです。
しかし、機内食の袋に客室乗務員から借りたペンで描いたアイデアが、どのようにして命を救う現実のものとなったのでしょうか?
その答えは、ウェールズのUWCアトランティック・カレッジにありました。ここは、硬質船体ゴムボート(RIB)の発祥の地なのです。
1960年代、UWCアトランティック・カレッジの創立者である退役海軍准将デズモンド・ホアーの指導の下、学生たちは現在、世界中で近海救助に使われている硬質船体ゴムボート(RIB)を開発しました。学校はその特許をRNLIに1ポンドで寄付しましたが、その小切手は決して現金化されることはありませんでした。

母校に戻ったロビンは、90か国以上から集まった300人の学生たちの中から熱心な協力者を見つけました。共通のサービス精神に導かれ、彼らは「箱の中の救命ボート」の試作機作りに取り組みました。
この取り組みは、最終的に「アトランティック・パシフィック」というチャリティ団体へと発展し、国際的な協力とコミュニティの回復力を象徴するものとなりました。
ウェールズでは、学生たちが最初の救命ボートの試作機「HAHN 1」を作り始めました。この名前はUWCアトランティックの創立者カート・ハーンにちなんで名付けられました。
一方、ロンドン芸術大学の学生たちは、貨物コンテナを移動可能な救命ボートステーションに改造しました。
そして、最後に必要だったのは、訓練されたクルーでした。
2016年、ロビンとUWCアトランティックの学生たちは、日本に渡り、救命ボートを根浜に届けた後、1ヶ月間、地元のボランティアを訓練して救命ボートクルーを育成しました。
この救命ボートは、日本の海洋伝統に敬意を込めて「根浜丸」と名付けられ、地元コミュニティによって「ウェールズ・ゴー!」と改名されました。
1か月間の滞在中、ウェールズチームは、救命ボートが単なる船ではなく、根浜の人々にとっては、主体性と回復力の象徴であり、地域の中心として、住民たちが自分たちの復興を進める力を与えるものであることを学びました。
「ウェールズ・ゴー!」の成功は、アトランティック・パシフィックの使命を確立しました。それは、世界で3番目に多い不慮の死因である溺死を減らすことです。
その後、アトランティック・パシフィックは他の国々にも支援を広げ、ギリシャでは地中海の移民危機の際にレスボス島でライフガードの訓練を行いました。
さらに、アトランティック・パシフィックは救助訓練の重要性を認識し、これまでに1,000人以上の人々に高度な海上救助、応急処置、心理的ケアを教え、そのうちの約500人が現在、世界中のNGOで活動しています。
2024年には、3人の日本の消防士がUWCアトランティックに集中的な海上救助訓練を受けるために訪れました。
その中には、大船渡市の消防署長で、2011年の津波時に国際的な救助活動の調整を担った千葉義広氏も含まれていました。
彼の訪問は、このプロジェクトの国際的な精神を象徴するものであり、文化を超えて海上の安全性を向上させるという共通の目標に向けて人々を結びつけるものでした。

千葉義広氏(救急救命士・日本災害援助チームメンバー)は次のように語りました。「ウェールズは本当に美しい場所です。海と山があり、私が生まれ育った土地に似ていて、懐かしさを感じます。」
「日本にはいくつかの船がありますが、私たちが日本で使っている『箱の中の救命ボート』は異なります。あのボートは、より多くの人々を救うことができ、より安全で効果的に救助を行うことができます。」
実際、日本ではボートを持っていても、救助方法を訓練されていない人もいます。また、救助方法を知っている人々が、必要なボートを持っていないという課題もあります。両方の問題を解決し、全員が知識や技術、情報を共有できることが重要です。
これにより、命を救うための基準が作られます。
「最初は救助訓練を受けたくてアトランティック・パシフィックに惹かれましたが、訓練を始めるともっと多くのことを知るようになりました。彼らの海洋環境に関する取り組みについて学び、今では自分自身でも学び続けたいと思っています。」
RIB(硬質船体ゴムボート)の革新と並んで、UWCアトランティックは国際バカロレア(IB)の創設にも貢献しました。60年後、その画期的なカリキュラムは現在、世界中で教えられています。
この技術革新の遺産は、平和と紛争研究(Peace and Conflict Studies)の創設にも繋がり、このカリキュラムは、オランダのウィレム・アレクサンダー国王やアレクシア王女、ヨルダンのラーニア王女、スペインのアストゥリアス公女レオノール、そしてベルギーの未来の女王エリザベート王女(ブラバント公爵夫人)など、多くの王室のメンバーにも学ばれました。
しかし、UWCアトランティック・カレッジの学生の多くは、紛争地域から逃れてきた難民を含む、奨学金プログラムによって世界中から集まっています。
アトランティック・カレッジの卒業生の一人であるトマス・アルバレス=ベロンは、2004年のタイ津波の生存者で、その物語はユアン・マクレガー主演の映画『インポッシブル』で描かれました。
アトランティック・カレッジ在学中、トマスはボランティアのライフガードとしても活動していました。
『ウェールズ・ゴー!』救命艇は、人と人とのつながりや助け合いの精神を強く思い起こさせます。その旅路は南ウェールズの城から日本の海岸まで続き、UWCアトランティックが持つ革新と支援の伝統を象徴しています。
アトランティック・パシフィックを通じて、UWCアトランティック・カレッジの海上救助における革新的な伝統は、世界中で命を救い、行動を促しています。