正直に言うと、私たちは母国ウェールズに少し執着しています。この強いきずなは、私たちの感動的な国歌「ヘン・ウラッド・ヴァー・ナーダイ(Hen Wlad Fy Nhadau‐我が父祖の土地)」から、「グウェス・ヴァ・ムフィン・ヴァ・ヒン・ナ・ファラス・イン・アラス(Gwell fy mwthyn fy hun na phalas un arall‐他人の宮殿より自分のコテージが良い)」のような、ウェールズの有名なことわざに至るまで、あらゆるものに表れています。
ウェールズの人々が新しい土地を求めて国境や海を越えるときでさえ、このきずな、あるいはウェールズ語で「ヒーラエス(hiraeth‐郷愁)」と呼ばれる感情は常に残り、ウェールズの移住者コミュニティの形成につながり、故郷の緑豊かな草原から何千マイルも離れた場所に、ウェールズをテーマにした事業を創設することに結びついています(ウェールズの伝説、トム・ジョーンズの郷愁が漂うヒット曲を引用して言えば)。
その結果、今日では、アルゼンチンの喫茶店から南アフリカの男性合唱団まで、世界中の思いがけない場所でウェールズ文化を共有する小さな場所を見つけることができます。これらは、伝統的なウェールズの風情を通常とは異なる環境で提供しています。


ウェールズの代表団
ウェールズの人口はわずか300万人強ですが、シェフィールド(シェフィールド・アンド・ディストリクト・カンブリアン・ソサエティ)からシンガポール(セント・デイヴィッズ・ソサエティ・シンガポール)に至るまで、世界中の都市で、特にラグビーを観戦するスクリーンの周りで、ウェールズ人が集まる様子が見られます。
ウェールズ人は、アメリカに最初に定住したヨーロッパ人の一部であり、そのためアメリカには、世界で最も古いウェールズ人のコミュニティグループがいくつか存在しています。例えば、シカゴのザ・ウェルシュ・カンブリアン・ソサエティの歴史は1853年に遡り、今でも毎年春には、伝統的なウェールズの賛美歌を歌うフェスティバルを開催しています。シカゴはまた、比較的新しい「シカゴ・タフィア・ウェルシュ・ソサエティ」の本拠地でもあり、彼らはここ数年、市内の主要企業と提携し、聖デイヴィッドの日に街のビル群をウェールズの国旗の色である赤、緑、白でライトアップしてお祝いをしています。
ワシントンD.C.とニューヨーク市にも活発なウェールズの団体があります。ワシントンD.C.ではウェールズ語の授業が行われ、ニューヨーク市ではウェールズ人が経営するバー「ザ・リバティ(The Liberty)」で、毎月ソーシャルイベントが開催されています。アメリカにあるいくつかのウェールズ移住者のグループは、特定の都市に拠点を置くのではなく、コロラド州、アイオワ州、ネブラスカ州、ミネソタ州、テキサス州などのように、州全体にわたってウェールズに関する活動をしています。
一方、ヨーロッパでは、エディンバラやパリなどの首都で、それぞれ1920年と1890年に設立されたウェールズのグループが存在しています。
さらに遠く離れた場所では、香港、東京、クアラルンプールなどの大都市で、ウェールズの移住者コミュニティが陽気に「クロイソ(croeso‐ようこそ)」と迎えてくれます。

食べ物と飲み物
地元の名物料理を食べたり、子供の頃に大好きだった飲み物を一口飲んだりすることほど、故郷の感覚を呼び起こすものはありません。しかし、ウェールズの伝統的な味を求める人が、アルゼンチンの南部でそれを見つけたら驚くことでしょう。
1865年、ウェールズの英語化に対する懸念が高まったため、160人のウェールズ人が、アルゼンチン政府から購入したパタゴニアの土地に向けて旅立ちました。彼らの目的は、ウェールズ文化の安全な避難所となる、人里離れた開拓地を築くことでした。その結果はさまざまでしたが、この多くの野心的な試みとの関係は今日まで続いています。おそらく最も明白なのは(そして愛すべきことに)、ガイマンの町に点在する伝統的な「ウェルシュ・カフェ」です。壁には木製のラブスプーンが飾られ、メニューにはパタゴニア風のバラ・ブリス(ウェールズのフルーツパン)があり、「プラス・ア・コイド(Plas Y Coed)」のような店は、本格的な南ウェールズの一面を南アメリカにもたらしています。
アメリカ側でも、ウェールズ文化を堪能できる食が進出しており、メニューに登場しています。 ニューヨークにある「スノードニア(Snowdonia)」が一番の注目店です。クイーンズ区にあるこのおしゃれなガストロパブは、ウェールズの最高峰(ウェールズ語で「アル・ウィズヴァ(Yr Wyddfa)‐スノードン山」として知られる)にちなんで名付けられました。ザルガイのフリッターやグラモルガン・ソーセージなど、本格的なウェールズ料理が楽しめます。他にも、アメリカの訪問者はカリフォルニアのブドウ園「アンビス・エステート(AmByth Estate)」(ウェールズ語で「永遠」を意味する)のソーヴィニヨン・ブランを味わったり、インディアナ州の醸造所「ヤヒ・ダー(Iechyd Da)」(ウェールズ語で「乾杯」を意味する)のビッグ・ピット・ポーターの一杯を楽しんだりすることができます。


異国の地で伝統的なウェールズのパブの雰囲気を求めているのなら、カンボジアのプノンペンにあるザ・ウェルシュ・エンバシー(The Welsh Embassy)に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?このパブは、スウォンジーとカーナーヴォン出身の二人の男性によって運営されています。または、ニュージーランドのウェリントンにあるザ・ウェルシュ・ドラゴン・バー(The Welsh Dragon Bar)に立ち寄ってみてください。「ア・ドライグ・ゴッホ(Y Ddraig Goch‐赤いドラゴン)」の旗が天井を覆い、棚にはペンデリン・ウイスキーのボトルが並んでいます。
音楽とイベント
音楽に関して言えば、男性合唱団が全力で歌う姿ほど、ウェールズらしいものはありません。(現在では、この合唱団はウェールズの象徴の一つとして知られています。)
この活動は、20世紀初頭にウェールズの鉱山労働者の友情を深める方法として、そして無料の娯楽として広まったものです。しかし、今日では、オックスフォードやロンドン、ダブリン、さらにはカナダのエドモントン、オーストラリアのシドニー、南アフリカのヨハネスブルグの献身的なグループのおかげで、ウェールズの合唱団の堂々たる金属音のような響きが、ウェールズの谷をはるかに越えて鳴り響いています。
ウェールズの音楽遺産のもう1つの礎は、ウェールズ語を称賛し、ウェールズ語を巧みに使いこなす人々をたたえるコンテストが満載のイベントである「エイステッドヴォッド」です。ウェールズでは毎年、3つの主要なエイステッドヴォッドが開催されており、ナショナル・エイステッドヴォッド、イルズ・ナショナル・エイステッドヴォッド(子供や若者向け)、そしてインターナショナル・エイステッドヴォッドがその例です。また一方で、ペンシルバニア州エドワーズヴィルにあるエドワーズ博士記念会衆派教会でも、毎年4月に定評のあるアイステッドフォッドが開催されています。これは、子供と大人による歌のコンテストやピアノの演奏会が行われるイベントで、1889年から続いています。(ちなみに、ペンシルバニア州の創設者であるウィリアム・ペンは、当初この地域を「ニューウェールズ」と呼ぶつもりだったと言われており、その理由は、この地域がウェールズの田園風景を思い出させたからだそうです!)


ウェールズ文化を推進し、祝うアメリカの毎年恒例のフェスティバルには、アイダホ州のマラド・バレー・ウェルシュ・フェスティバル、ジョージア州のロックマート・ウェルシュフェスト、そして北部アメリカの州やカナダ各地で開催される「北米ウェールズ・フェスティバル」などもあります。海の向こうのヨーロッパでは、フランスのブルターニュ地方で毎年開催されるパフォーマンス満載の夏のフェスティバル、フェスティバル・アンテオセルティーク・ドゥ・ロリアン(Festival Interceltique de Lorient)があります。フランスのその地域とウェールズ、その他の少数の国や地域とともに、共有するケルト文化のきずなを祝います。
博物館と文化センター
ウェールズには、全国から移築された歴史的建物を展示する有名なセント・ファガンズ国立歴史博物館(St Fagans National Museum of History)から、ウェールズと珍しい水上交通手段とのつながりを掘り下げたナショナル・コラクル・センター(the National Coracle Centre)などの規模は小さいながらユニークなものまで、その豊かな歴史を伝える施設が点在しています。しかし、ウェールズに特化した博物館は、ウェールズの外でも見つけることができます。
アルゼンチンのガイマンの町には、居心地の良いウェールズの喫茶店に加えて、ア・ウラドヴァ(Y Wladfa) 開拓地の初期に焦点を当てた数々の歴史的建物や博物館があります。その中には、この地域でウェールズ人によって建てられた最初の家が19世紀半ばの姿のまま保存されていたり、かつてウェールズ人が建設した旧鉄道駅の内部には、ピアノからライフルまで、さまざまな歴史的遺物が展示されています。


ネブラスカ州にあるグレート・プレーンズ・ウェルシュ・ヘリテージ・センターでも、ウェールズの入植者たちの生活に焦点を当てた展示が行われています。このセンターは、ボランティアのチームによって愛情を込めて運営されています。(オンラインツアーも記憶に残るものです!)一方、ペンシルバニア州のフィラデルフィア市内とその周辺では、ウェールズの船乗りによって17世紀に建てられたグリフィス・モルガン・ハウス(Griffith Morgan House)を含む、さらに古いウェールズの建造物を見ることができます。この街には、1798年に設立されたアメリカ最古のウェールズの団体であるフィラデルフィア・ウェルシュ・ソサイエティの本拠地もあります。
もう少し近い場所にあるロンドン・ウェルシュ・センターは、1920年からイギリスの首都ロンドンにおけるウェールズ文化の拠点となっています。ウェールズの音楽家や講演者によるパフォーマンスを主催し、ウェールズ語のレッスンを提供しています。そして、名高いバーも併設しており、特に毎年開催されるシックス・ネイションズ・ラグビー大会の期間中はとても盛り上がります。
北ウェールズから国境を越えてすぐのリバプールにあるリバプール博物館(Museum of Liverpool)には、1929年にリバプールで開催された、ウェールズ国外での珍しいアイステッドフォッドを記念したプレートを含め、この街に多く住むウェールズ人に関連する数々の品が展示されています。また、市内の海事博物館(Maritime Museum)には、最初のウェールズ人の移民団をアルゼンチンに運んだ船「ミモザ」の模型も展示されています。
